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2009年11月一覧

11/28(土) なんばオフ まとめ

午前10時すぎに、難波に到着。
一次会場に向かい、掃除・片付け。
11時にマイミクさんご夫妻が名古屋から来られる。
一緒に五右衛門のパスタを食べ、その後は一次会場にて歓談。
14時ごろ、ゆずぽんちゃん到着。
マイミクさんをお見送りしたあと、ゆずぽんちゃんとコンビニへ買い出し。
14時半ごろ、HIROさん到着。
つづいて、あっちゃんがはるばる山陰から到着。
そのうち、Aさん(仮称)親子、ロキュータスさん、あるふぁさん、ふゆっこさんと、順次到着。
一次会場があまりに意外な場所で、皆さん驚かれていましたが、
けっこう盛り上がりました。(^O^)
とくにAさんママ、完全に場を仕切ってるしw
さすが母強し!
17時半すぎに一次会場を撤収、二次会場の居酒屋へ移動。
ひとごみの中で、ゆずぽんちゃんは兄チェルベロさんと感動の再会
居酒屋の前で、LINさんと合流。
その後、愛弥さん、mountainさんも来られて、二次会スタート!
予定より人数が増えてしまったこともあり、部屋が狭いとか料理が少ないとか、
いろいろ問題はありましたが、それぞれ歓談いただけたかと。
20時すぎに居酒屋を退出。
風邪ぎみの愛弥さん、LINさん、そしてAさん親子と別れ、残ったメンバーで三次会@カラオケへ。
あるふぁさん、大熱唱!
あっちゃんは完全にキャラが変わっちゃってるしw
一次会とは違う面がみられて楽しかったです。
大盛り上がりしてるうちに、23時半になってしまいました。
チェルベロさんは完全に酔っちゃって、ひとりで歩けない状態。
その後どうやって自宅までたどり着いたかは、ゆずぽんちゃんのオフレポを参照w
・・・といったかんじで、大いに盛り上がったオフ会でした。
次回は春、3月の三連休あたりにやりたいなぁ、と思っております。


インタビュー:村上春樹、 「1Q84」で描くポスト冷戦の世界 (ロイター)

村上春樹が、ロイターのインタビューにこたえています。
http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-12605620091125
「地下鉄サリン事件後、村上氏は60人以上の関係者にインタビューを重ね、なぜ人々がカルト集団に入るのかを追究してきた」そうです。
その中には、エホバの証人2世も含まれているものと思われます。
 「一体どういうふうに生きればいいのか、何を価値、軸として生きていけばいいのか、当然そういう疑問が出てくるが、今、特にこれという軸がない。カルトというものはそういう人たちをどんどん引き付けてゆくことになると思う。僕らができることは、それとは違う軸を提供することである」と村上氏は言う。
過去記事:
1Q84 BOOK1
http://ameblo.jp/exjw/entry-10374920880.html
1Q84 BOOK2より
http://ameblo.jp/exjw/entry-10363495092.html


寄稿文の補足 by Joel

先の記事、クリスチャンの方々にとっては、「なんて不信仰な文章だ」と思われるかもしれません。
しかし、これはあくまでも、親から信仰を強制された二世の言葉であることを念頭に置いていただきたいと思います。
二世たちは、信教の自由・良心の自由・思想の自由を与えられずに育てられました。
彼らにとって、まず、「神を信じるか信じないか」を選ぶ権利が与えられること、これが脱カルトの第一歩なのです。
残念ながら、多くの二世にとって、絶対主義的なJW組織・親のイメージが、そのまま神のイメージとなり、嫌悪の対象となっているのです。
彼らに、単に「神を信じよ、イエスを信じよ」と説くだけでは、彼らの心は救われません。
まず、「良きサマリア人」となってくれる友人を通して、神の愛と恵みを実感してもらうこと、そういった体験の積み重ねを通して、これまでエホバやJW組織に抱いていたのとは違うものが、真の神に、真のクリスチャンにあるということを、時間をかけて知ってもらう必要があると思います。
それから、「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、「衣食足りて信仰を知る」とも言えると思います。
親と絶縁し、頼れる身内もなく、生活するすべも知らず、衣食住に困窮する二世にとって、信仰なんて二の次です。
まずは、この世間の大海の中で生きていくことこそが、最初かつ最大の試練なのです。
ですから、まずは彼らが一人前の社会人として生きていけるようサポートすることこそが必要とされていると思います。
まず住む場所を確保し、仕事に就き、食べていけるだけの収入が得られるようになって初めて、自分の内面を見つめ、将来について考え、信仰について思いを致すことができるようになるのではないかと思います。
実際、僕自身がそうでした。
20代前半でJWを離れた当時、「宗教組織なんてもうたくさんだ。誰とも関わりたくない」と思っていましたし、「何が真理か、何が間違いかを考える余裕もない」という状態でした。
それから10年近く経ち、社会人として自立し、多額の負債も返済し、結婚して精神的な安定が得られるようになってはじめて、改めて自分の内面を見つめ直し、将来について考えるようになりました。
そして、「自分ひとりで信仰生活を歩んでいくのは困難だ。自分の信仰を支えてもらえる教会を自分は必要としている」と考えるようになりました。


第15回 エホバの証人被害者全国集会

ものみの塔=
エホバの証人
第15回 被害者全国集会

日付: 2009年11月21日(土)

場所: 八王子市民会館 3F 第5・6会議室

     (八王子市上野町32番地の1) 

    http://www.hachiojibunka.or.jp/shimin/top.htm

    

時間: プログラムは、 午後1:30~午後4:00

     プログラム終了後、午後5:00~午後6:30まで、夕食
     夕食後、午後6:30以降は希望する人が残っての座談会となります
これまで、エホバの証人問題へ様々な立場の方々が果敢に取り組み、多くの救済の業を成し遂げてこられました。
しかし、依然として証人問題による被害とその犠牲者は後を絶ちません。
時代の移り変わりと証人の態様も変わり、問題解決・救済方法も変化をせまられる今、求められている事は何でしょうか?
カルト問題に対し、心の癒しから法的対処まで多岐に渡るケアをなさってこられた、村上密牧師をお招きして、これからのカルト被害者救済、更にはその予防について共に考えたいと思います。
Seeker-エホバの証人被害者全国集会
過去の「被害者全国集会」については、こちらに載っています。
http://members.at.infoseek.co.jp/thinkJW/

過去の記事にも書いていましたが、
http://ameblo.jp/exjw/entry-10307972677.html
「元JWや、JW問題と関わる人たちをサポートするための組織」の立ち上げについて、この全国集会で発表する予定です。


「エホバに歌う」はイケてない! 「エホバよ、わたしたちは感謝します」編

(mixiには数日前にアップしてましたので、もう読んだ人はごめんなさい)
ご好評におこたえして(w
第二弾。
212番の歌。
1番。
旧) エホバよ われら感謝せん
     ↓
新) 感謝します 父エホバ
旧) なが光 注ぎたもう
     ↓
新) 道を照らす光を
ちょっと意味が変わってない?w
旧) 祈りもて なれに頼る この特権 感謝せん
     ↓
新) この祈りの賜物を 感謝します あなたに
「なれに頼る」が欠落。「特権」→「賜物」にかえたのはまだよかったか。
2番。
旧) エホバよ われら感謝せん み子 死に勝ちたまえり
     ↓
新) 感謝します 父エホバ み子イエスの犠牲を
「イエスの犠牲に感謝する」のは間違ってはいない。
でも、イエスは死に勝利した!という感動は失われた。
旧) われに誓い果たさしむ 導きに感謝せん
     ↓
新) 誓い 果たす 導きを 感謝します 日ごとに
べつに「感謝せん」でええやん、って気になってくる・・・w
3番・・・消失。涙
旧) エホバよ われら感謝せん まことの友 賜えり
   忠実保つを助く なが霊に 感謝せん
4番→3番に。
旧) 感謝せん み名と真理 告ぐるは わが誉れよ
     ↓
新) 感謝します 父エホバ み名 伝える 誉れを
「真理」が消えた!w
旧) 悪は去り なれの恵み とわならん 感謝せん
     ↓
新) 永久(とわ)に続く王国を 感謝します エホバよ
あくまでも「王国」を強調したい。
「恵み」という言葉を使いたくない、という意思がひしひしと感じられますw
というわけで、こちらもグダグダになっちゃいました・・・


新しい歌の本はイケてへん!「クリスチャンの献身」編

あえて関西弁のタイトルにしてみましたw
新しい歌の本、「エホバに歌う」。
4番まであった歌詞が3番まで、3番まであった歌詞が2番までというように、中身を削ってる。
そして、従来の文語体をムリヤリ口語体に変えたもんだから、さらに内容が欠落。
その一例をば。
バプテスマといえばこの曲、「クリスチャンの献身」。
従来は13番でしたが、新しい本では7番。
1番。
旧) エホバは宇宙を造りし方
     ↓
新) エホバは宇宙を造り出した
おいおい、敬称がなくなってもうたやんw
旧) 天地み手の業 神のものよ
     ↓
新) 天も地も すべて エホバのもの
「み手の業」が欠落。「エホバ」を強調。
旧) 命の源 人に示す 崇拝 神にのみ捧ぐるべきを
     ↓
新) 賛美と崇拝 受けるべきは 命の源 エホバ神のみ
ここでも「エホバ」を強調。
2番。
旧) イエス 川に来る 義をなすため み旨果たさんと 身を差し出す
     ↓
新) イエス ヨルダンで 身を差し出す エホバのご意志を 行なうため
「義をなす」が欠落。
またまた「エホバの」ご意志を強調。
旧) 水より上がれり 霊注がれ 忠節に仕えり 聖別されて
     ↓
新) 聖霊 注がれ 神に仕え 忠節を尽くして 献身 果たす
イエスの神格性をよほど否定したいのかw
3番。
旧) み前に来たれり み名誉めんと
     ↓
新) 今 わたしたちは み前に立つ
「わたしたち」w
「われら」でええやん。2音無駄。
「み名誉めんと」が欠落。
旧) 我ら己捨て 命捧ぐ
     ↓
新) 自分の命を ささげるため
「己捨て」が欠落。
旧) 尊きみ子もて 買われたれば
     ↓
新) 贖い 感謝し 固く誓う
うーん。
「贖い 感謝し」が薄っぺらく聞こえる。
「み子の尊い命をもって買い戻された」概念が欠落。
旧) 死ぬるも生くるも なれのためなり
     ↓
新) 生きるのも死ぬのも あなたのためと
意味は一緒なんだけど、語感が違う。
むりやり現代語にするから、なんかぐだぐだになってしまうってかんじ?


エホバの証人の輸血拒否に対する、各界の対応

【医学界の対応】

15歳未満 親拒否でも輸血 5学会決定

(読売新聞 2008年2月29日)
 宗教上の理由で輸血を拒否する「エホバの証人」の未成年信者への対応について、日本輸血・細胞治療学会など関連5学会の合同委員会(座長・大戸斉福島県立医大教授)は28日、15歳未満の患者に対しては、本人や親が拒否しても生命の危険があれば輸血を行うとする指針を正式に発表した。
 患者が信仰や親の意思に反して輸血を受けたことで苦しむ恐れがあるとして、退院後も児童心理の専門家らによるカウンセリングを行うよう医療機関に求めている。
 指針によると、15歳未満は輸血するものの、18歳以上では患者本人が、15歳以上18歳未満では患者と親の双方が輸血を拒んだ場合は輸血しないとした。最高裁の判例に基づき、宗教上の輸血拒否を患者の自己決定権として尊重した。
 ただ、18~19歳の患者でも、医療について適切な判断ができないと複数の医師が評価した場合には、輸血すると定めた。
http://www.yuketsu.gr.jp/information/2008/080229kaiken.pdf

宗教的輸血拒否に関するガイドラインとフローチャート
http://www.anesth.or.jp/news/000858.html

【行政・司法の対応】

行政 = 児童相談所
司法 = 家庭裁判所

即日審判で父母の親権停止 家裁、息子への治療拒否で

http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009031401000512.html

 東日本で2008年夏、消化管内の大量出血で重体となった1歳男児への輸血を拒んだ両親について、親権を一時的に停止するよう求めた児童相談所(児相)の保全処分請求を家庭裁判所がわずか半日で認め、男児が救命されていたことが14日、分かった。

 子供の治療には通常、親の同意が必要で、主治医は緊急輸血が必要だと両親を再三説得したが「宗教上の理由」として拒否された。病院から通報を受けた児相は、児童虐待の一種である「医療ネグレクト」と判断した。


このように、医療・行政・司法が連携して対応する仕組みができあがっています。
もはや、「大くん事件」の再発はないことでしょう。
大くん事件・・・1985年(昭和60年)6月6日、神奈川県川崎市の久地駅前の路上で、当時10歳だった鈴木大君がダンプに轢かれて両足を骨折。聖マリアンナ医大病院に運ばれた大君は、意識はあったものの失血によるショック症状を呈し始めている状態で、「両下肢開放性骨折・入院60日」という診断を受け手術が行なわれようとしたが、事故を聞いて駆けつけた両親が手術に必要な輸血を拒否。熱心なエホバの証人である両親の承諾を得られぬまま大君は5時間後に失血死。


元JWとの絶縁 (2011年7月19日加筆修正)

最近、いろいろとありました。


この1ヶ月ほどの間に、有名ブロガーさんおふたりから、アメンバーを切られました。
おふたりとも、お会いしたこともあるし、電話でお話したこともある方です。



おひとりの方は、その方のブログで、ある現役JWを批判されていたのに
反論したところ、突然アメンバーを切られました。

もうひとりの方は、その方と直接ではなく、その方のご主人が突然、私に対して誹謗メールを送ってこられ、
それに対する弁明を求めたところ言い合いになってしまい、
結果として奥様からもアメンバーを切られました。
メールをお送りしましたが、無視されたままです。


(2011年7月19日更新)
上記の記事を書いてから、1年半経ちました。
当時、結婚生活が破綻し、精神的にも大変不安定で、教会にもなじめず、孤独感にさいなまれていた私にとって、元JWから救われたおふたりは、とても貴重な友でした。
いくら私がどん底の状態にあったとはいえ、おふたりには多大の精神的負担をかけたことと思います。
このブログをご覧になるかどうか分かりませんが、これまでおふたりが示してくださったクリスチャン愛に今も感謝していることをお伝えすると共に、不快な気持ちにさせてしまったことについてはお詫びしたいと思います。
主イエスの十字架によって罪赦された仲間として、私の過ちをお許しいただければと思います。
そして、共に救われ、主のみもとに導かれた喜びを、これからも共有したいと思っています。


THIS IS IT

観に行ってきました。
http://www.sonypictures.jp/movies/michaeljacksonthisisit/
とにかく、感動しました。
「最高のコンサート」を観客に提供しようと、全力でリハーサルに取り組む姿。
でも、リハーサル中の素顔のマイケルは、スタッフひとりひとりに対しても謙虚で、優しい人でした。
彼が皆を愛していたことは、彼の言動の端々から感じられます。
たぐいまれな才能を持ちながらも、尊大さのかけらもない、本当に純粋な人だったんだなと感じました。
エホバの証人2世だった、マイケル・ジャクソン。
http://ameblo.jp/exjw/entry-10307926124.html
きっと、心の中にはいろんな葛藤を抱えていたことでしょう。
でも、彼は自分の才能を最大限に生かして、音楽を通して皆を幸せにしてくれました。
彼は愛にあふれた人でした。


神に罪の許しを要求する!?

友人に教えてもらいました。
詩編25:11。
<新世界訳>
エホバよ,あなたはそのみ名のために,
わたしのとがを許してくださらなければなりません。それは少なからずあるからです。
or your name’s sake, O Jehovah,
 You must even forgive my error, for it is considerable.

<文語訳>
わが不義はおおいなり
エホバよ み名のために之をゆるしたまえ
<口語訳>
主よ、み名のために、わたしの罪をおゆるしください
わたしの罪は大きいのです。
<新改訳>
主よ。御名のために、
私の咎をお赦しください。大きな咎を。
<新共同訳>
主よ、あなたの御名のために、
罪深いわたしをお赦しください
こうやって並べると、一目瞭然です。
新世界訳だけが、神に許しを要求しているのです。
なんと不遜なことでしょうか。
このような態度で神のもとに近づいて、神から罪の許しを受けられることを期待するほうが間違っています。
新世界訳がいかにひどい翻訳かを如実に表す一例ですね。
本来、この聖句は、
自らの罪深さ、罪の大きさを痛感している詩編作者が、主(エホバ)に対して許しを嘆願しているのです。

エホバの証人が、救いは自分の行いに対する報いであり、獲得するものであると考えているからこそ、このような翻訳をするのでしょう。
彼らは楽園での永遠の命という報いを獲得するために必死になって、来る日も来る日も個別訪問に明け暮れているのです。

しかし、救いは、人間がどんなに努力をしても、どんな代価を払っても、獲得できるものではありません。
あくまでも救いは、神の恵みによるのです。
ですから、まことに残念なことではありますが、エホバの証人は、神からの罪の許しを受けることも、救いにあずかることもできないのです。

(テモテ第二 1:9,10)
<新世界訳>
[神]はわたしたちを救い,聖なる召しをもって召してくださいましたが,それはわたしたちの業によるのではなくご自身の目的と過分のご親切とによるのです。これは,キリスト・イエスとの関連のもとに,久しく続いた時代の前からわたしたちに与えられていましたが,
今や,わたしたちの救い主キリスト・イエスの顕現によって明りょうにされたのです。
<文語訳>
神は我らを救い聖なる召しをもて召し給えり。是(これ)われらの行為(おこない)に由るにあらず、神の御旨にて創世の前にキリスト・イエスをもて我らに賜いし恩恵(めぐみ)に由るなり。
この恩恵(めぐみ)は今われらの救主キリスト・イエスの現れ給うに因りて顕れたり。
<口語訳>
神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく神ご自身の計画に基づき、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜っていた恵み
そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。
<新改訳>
神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなくご自身の計画恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたのであって、
それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされたのです。
<新共同訳>
神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく御自身の計画恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちに与えられ、
今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。
文語訳の時代から「恵み」と訳されているのに、なぜか新世界訳は「過分のご親切」などという不可解な言葉に置き換えています。
エホバの証人の、神の「恵み」に対する認識の欠如の現れでしょうか・・・。