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2012年一覧

戦友との再会

とても嬉しいことがあったので、ブログを書いています。

以前、ブログ仲間の元JW2世と関東で会ったことがあります。
彼女は統合失調症を患い、常々「死にたい」と口にしていました。
たびたび自殺未遂を繰り返していました。

どうすれば彼女が救われるのだろうか。癒やされるのだろうか。
僕は何度も、涙ながらに神に祈りました。
しかし、答えが分からぬまま、音信不通になってしまいました。

彼女のブログを読んでいた元JW2世の皆さんも、同じ思いだったと思います。

その彼女と、3年ぶりにFacebook経由で再会しました。
彼女は離婚し、実家のある関西に帰ってきていました。
さっそく彼女と会い、何時間も話し込みました。
3年経ち、彼女は以前とはすっかり変わって積極的になり、
バイトを始められるまでに快復していました。
本当に嬉しかったです。

神様は、ひとりひとりにとって最善の時に、その人を癒やすことがおできになる。
改めて、そう確信しました。

願わくば、彼女が神様を求め、クリスチャンとして再び神と共に歩む人生を楽しんでもらえたらと思うばかりです。


性格検査の所見

先日、ロールシャッハテストを受けました。
所見をもらいましたので、参考まで掲載します。

【結果】 課題への意欲は高く、期待に応えようという意識が強くみられる。分かりやすいように伝えようというコミュニケーションについて他者への配慮に関する関心は高い。

そういうJoel氏の意識の高さに反して、場面によって対応の違いが大きい。Joel氏は、外側で起きていること、実際にあるものを観察する力に優れている。実に細やかで正確な観察力を持っていると言える。しかし、観察して得たことを受け身的にそのまま受け取りやすく、現実的な判断や主体的な行動を起こすには、何を重要とし、何を捨てるかという柔軟性や許容を必要とするが、これがうまくいかないことがある。また、感情が動揺するような場面では、より関わる範囲が狭くなり、より「正確で間違いない」状況を求める傾向がある。…感情を抑制し、理性とうまく複合的に事態に関わるのは非常に苦手である。

他者と協調的に関わりたい、関わるべきであるという価値観を持っているように思える。
しかし、上述の細やかな観察力が「こだわり」となり、気が付いたことを許容することが難しく、結果的に全人的関わりはなかなか困難である。他者からの評価への恐れや男性性への圧倒感があり、女性に対してのほうが安心感があるようである。自分への不全感、人への劣等感も見られるが、あまり意識されていず、かえって堂々と振る舞って違和感を与えるようなこともあるかもしれない。…

とても的確な指摘で、驚きました。

「男性性への圧倒感があり、女性に対してのほうが安心感がある」・・・このあたりも、なかなか理解してもらいずらいところです。
別に僕は、自分が男性であることに何の違和感も持っていませんし、恋愛対象は女性です。
しかし、男性の中にいると、「男性性」への圧倒感を覚え、たじろいでしまうことがあるのは事実です。だから、いわゆる「体育会系」男子のようなむさくるしいところは苦手です。
むしろ、女性と一緒にいるほうが安心感があります。
これはエホバの証人の会衆内でも、高校(商業高校のためクラスメートの大半が女子)でもそうでしたし、教会内でもそうです。
そういうとき、自分が男性であることや自分がもう30代半ばのおじさんであることは忘れてしまっているときがあります。
だから、他者から自分がどう見られているかが分かってなくて、そこで誤解を招くときも多々あるようです。


CPTSD(複雑性外傷症候群)

こんなサイトを見つけました。

http://slan.or.tv/texts/cptsd-faq.html

こんなの読むと、今自分がやろうとしていることが全部無意味に思えてきちゃいます・・・

難しいですね。

「努力は無駄にならない」「希望は必ずある」という意味での「自己肯定感」を持つことは、とても大切。

でも、「僕は何も悪くない」と開き直ったり、「僕にはどうしようもないんだから、周りが僕に合わせてくれなきゃ無理」みたいなのは論外。 ←案外、こういうふうに僕が思っているかのように感じられている方もおられるのかも。

日々めまぐるしく変化の激しい世界の中で、日常を生きていくだけでも、とても大変で、しんどくて、つらいことです。

まして、特殊な環境で育ち、心が未熟で、傷つきやすく、弱り切っている人にとってはなおさらです。

僕は、エホバの証人2世として「模範的」な生き方をしてきました。
自分の意志に反して親から強いられて・・・ではなく、自分の意志で、自分の信念に従って生きてきた「つもり」でした。

自分が信じてきた神。その神様からの愛は、今も変わらず信じています。

でも、自分に「さも」選択の自由が与えられていたかのように「見せかけられ」て、実は最初から選択肢はひとつしかない、他の情報が一切遮断された環境に置かれ、自分の意思や可能性や希望の多くを奪われてきたことに気づいたとき、途方もない絶望に陥ったんです。

だって、好きな高校・大学に進み、好きな研究に打ち込む道だってあったかもしれないのです。
「働く技術を習得するために」商業高校に入りましたが、そもそも高校に行く目的が違っていれば、自分の生き方は全然違ったものになったかもしれないのです。

中学や高校の先生方が何度も何度も「大学進学を考えてみないか」と勧めてくださったのに、にべもなくそれを断り、その可能性さえ考えようとしなかったこと。
自分の視野狭窄が情けなくてしょうがなかったんです。

だから、自分の視野を広げよう、もっといろんな価値観を取り入れようと必死になって生きてきました。
おかげで、JW時代には考えられなかったような、色んな人たちとの出会いという宝物をいただきました。

これからも、僕はもっと視野を広げていきたい。

このブログのタイトルのとおり、「seek」、探求しつづけていきたい。

自分の認知が歪んでいることは、ある面においては認識しているし、ある面においては拒絶してしまっているかもしれない。
でも、僕は決して諦めてはいないんです。
これからも変わり続けたい。成長し続けたい。
失ってきた多くのものを取り戻し、新しいものといっぱい出会いたい。

これが、今の僕の思いです。

これから、長い長い闘いが続きます。

どうか、気長に見守っていただければと思います。

不器用なんです。
鈍くて、頑固で、天の邪鬼なんです。

それでも、三歩進んで二歩下がり、回り道を繰り返しながら進んでいきます。

神様が、この地上で命を与えてくださっている限り、僕はもがきつづけます。
それが、僕が生かされている目的だと思ってるからです。