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幹事として、元JWオフ会への思い

私が初めて「元JWのオフ会」に参加してから、もう10年近く経ちます。
当時、僕は無宗教でした。
JWを自然消滅し、神を信じてはいましたが、どの宗教組織に所属したいと思っていませんでした。
そんな僕が、本音を吐き出せたのが、元JWのオフ会でした。
ありのままの僕を笑って受け入れてくれた戦友たち。
彼・彼女の笑顔に癒されて、僕は今まで生きてこれました。
教会に通うようになり、クリスチャンとなった今も、僕の基本理念は変わりません。
僕には僕の、オフ会への思いがあります。
JWを離れて、どこに行けばいいか分からない。
これから自分が幸せになれるのか、本当に自由になれるのか自信がない。
そんな人が、「なんや、元JWってみんな明るいし楽しそうやん。私もJWを離れて、この人たちみたいになれるかも」って思ってもらえる場を作りたい。
それが僕の願いです。
なかなか定期的にとはいきませんが、今後もオフ会を企画します。
今まさにJWを離れ、世の大海に一歩踏み出そうとする人を応援するために。
だから、僕が企画するオフ会は、常にオープンです。
クローズドでやりたい方は、クローズドでなさればいい。
もし、クローズドな会に僕を誘っていただければ、むっちゃ嬉しい。
そのときは参加者の一人として、楽しませてもらいますし、幹事さんに余計な負担をかけるようなことはしません。
その代わり、僕が幹事のときは、上記のとおり、僕のポリシーに基づいて仕切らせてもらいます。
それから、誤解のないよう、一言。
僕は現在、クリスチャンですが、オフ会を「伝道」とか「勧誘」の場とは考えていません。
JWから離れて、「この世」で生きる自由と幸せを実感してもらうことこそが、第一かつ最優先の目的であり、
今後の人生において何を信心するかを選ぶのは、社会人として生きていく中で考え、模索する、さらに先のステップだと考えているからです。
無神論・無宗教で生きていくのも、ひとつの選択です。
聖書の神を信じて生きていくのも、ひとつの選択です。
どの教会に行くかどうかなんて、僕にとっては全くたいしたことじゃありません。
そもそも神は、どの教会に行きなさいなんて指図されるような方ではないと僕は信じています。
どんな選択をされるにしても、誰にも強制されない、自分で選んだ、自分の人生を踏み出す元JWを、僕はずっと応援しています。
あなたは決してひとりじゃない。
あなたは、この世で生きる価値があり、必要とされており、愛されています。
そのことを実感してほしいと思っています。
みんなが幸せになれますように。
そして、だれもが孤独にさいなまれることなく、互いに支え合い、気遣い合い、生きていけますように。


Time to say Goodbye

映画「オーシャンズ11」の最後のシーンで出てくる、ラスベガスの噴水。
実物を見たことがあります。
はるか遠い昔のことのように思えます。
あれから、僕は何をしてきたのだろう・・・
そして、これから僕には何ができるのだろう。
これまで、たくさんの人からいただいた愛と親切。
恩に仇で返すようなこともしてしまったことも数えきれません。
自分はあまりにも罪深く、惨めで、情けない人間です。
絶望し、自ら命を絶っていたかもしれません。
それでも、そんな僕のために、イエスさまは十字架で命をなげうってくださった。
「悔い改めなさい。そうすれば、わたしはあなたを許し、あなたをきよめよう」と言ってくださった。
そのおかげで、こんな僕ではありますが、生かされています。
これからも、生きていきたいと思います。
人のために何の役にも立てない、世界の片隅でただ生きている、ちっぽけな存在でしかありませんが、生かされています。
そのことに、ただ感謝するしかありません。


生い立ち

7/13,14 の両日、名古屋で JWTCの移動教室が開かれるのですが、そこで時間をいただき、2世としての体験をお話することになりました。
これまでブログに綴ってきた、自分のJWとしての生い立ちを改めてまとめてみました。


私は1977年に生まれました。
祖父は京都でも有名な職人で、長男である父も祖父と同じく職人をしていました。
父も職人としての腕を認められ、我が家は比較的裕福でした。
父にとって長男の私は、自分の跡を継ぐ者であり、当時ひとりっ子だった私は、両親の期待を一身に背負っていました。
ただ、父と私は正反対の性格だったため、父は戸惑うことが多かったようです。
ある日、私がいじめられ、泣いて家に帰ったとき、父は「やり返してこい!」と言いましたが、私は「やり返すくらいならやられたままでいい」と言いました。
また、父はミニカーをたくさん買い与えてくれましたが、私は全く興味を示さず、むしろ公園の草むらに生えている花を見て「綺麗」と言っているような、まるで女の子のような性格でした。
おそらく私は、母に性格が似たのだろうと思います。
母は戦隊モノのアニメなどが嫌いで、私にそういうテレビ番組を見せたりしませんでした。
私自身、そういったものに興味を示すことはありませんでした。
(こういった経緯からして、JWになる前から、私の生来の気質というか性格がクリスチャン的だったと言えるかもしれません)
価値観が正反対の父と母との間には口論が絶えず、幼いながら私は心を痛め、どうすれば家族仲良く、平和になるのだろうと思っていました。
また、幼いころの私は発達障害の傾向もあったようで、落ち着きがなく、人と目を合わせて会話することができず、人間関係を作るのが苦手というか、人間にあまり関心がありませんでした。
そのため、父だけでなく母も私のことをなかなか理解できず、どうやって私を育てたらいいのだろうかと悩んでいたようです。
そんなころ、母がエホバの証人の伝道を受けました。
1982年、私が5歳のときでした。
私も聖書研究を始め、母と一緒に集会に行くようになりました。
父は、自分の「仕事中心の価値観」をJWが否定するので、猛烈に反対しましたが、のちに研究を始めるようになり、職人をやめてサラリーマンになり、両親そろってバプテスマを受けました。
1983年の夏でした。いわゆる「神権家族」になりました。
私は同年の秋に神権宣教学校に入り、翌1984年4月、小学校入学と同時に伝道者になりました。
その後、父は奉仕の僕になり、家族の頭として父が信仰においても率先する立場とはなりましたが、私は父が反対者だったころから聖書を学び、エホバを信じ、自分の意志で神権宣教学校に入りたいと思っていましたので、親に連れて行かれるという意識はあまりありませんでした。
ですから、私は純粋な2世とは言えないのかもしれません。
今から振り返ってみますと、親に依存しない自分の信仰、自分と神との関係を子供のころから培っていたことが、後の救いにつながったように思います。
小学生時代の私は、いわゆる「模範的な」エホバの証人の子供でした。
校歌も歌わず、お祝い事や選挙にも参加せず、伝道に明け暮れていました。
毎年4月になると新しい担任の先生宛の手紙を書き、自分がエホバの証人であること、そのために参加できない行事などについて説明していました。
しかし、いつも「人と違っていなければならない」というのは私にとって苦痛でした。
もともと発達障害の傾向があり、人間関係が苦手な上に、いつもクラスのみんなと違う行動をしなければならず、先生からもなかなか理解してもらえない。
私は学校にいるのがつらく、孤独感にさいなまれていました。
そのころから、いわゆる「小児うつ」の症状が出ていたのですが、当時はまだそういった理解がなかったため、病院に何度か行きましたが原因不明と言われるばかりでした。
小学校6年でバプテスマを受けました。
そして中学校に入学しますが、担任の先生がとても理解のある方で、私の信念を評価してくれました。
私はそれまでずっと自己嫌悪にさいなまれていましたが、担任の先生のおかげで徐々に自尊心を持てるようになり、学校にいることが苦痛ではなくなってきました。
そのころ、同級生のある子のことが好きになりました。
彼女も私に好意を持ってくれましたが、私がエホバの証人であることが壁となり、もちろん親も反対したため、交際は進展しませんでした。
中学2年の冬、私たち家族は京都市内から京都府南部の京田辺市に引っ越しました。
非常に微妙なタイミングで転校したことは、私にとってショックでした。
しかも、転校先の中学校がとても荒れていたため、私は登校拒否になってしまい、ほとんど学校に行かないまま、中学校を卒業しました。
中学校の担任からは高専への進学を勧められたものの、文系の私は理系に興味がなかったことと、当時、神戸高専で剣道の授業を拒否したために退学になったJWがいるという話を聞いた私は、高専に行く気にはなれませんでした。
そのころから、将来は宣教者になって海外に行きたいという夢を抱いていたため、英語の授業が多い、商業高校の国際経済科に進みました。
高校はJWの同級生が多かったです。私は在学中に取れる資格は全部取ろうと猛勉強しました。
そのとき、特に興味もなかった情報処理技術者の資格を取ったのですが、これが後の仕事で生かせることになりました。
ひととおり資格を取ってしまうと、学校に行く目的がなくなってしまい、再び不登校ぎみになってしまいましたが、なんとか卒業できました。
高校在学中も、先生方から何度も大学進学を勧められ、推薦枠に入れるよとも言っていただけましたが、「宣教者になる」という夢は揺るがなかったため、大学に行くなど、とても想像もつきませんでした。
ところが私が卒業した翌年、同じ会衆の長老の娘さんが大学に進学されたため、私はとてもショックを受けました。
そのころ、父は長老になっていましたが、家の中での父は横暴で、とても心から従いたいと思えませんでした。
エペソ6:4にあるとおり、私や弟は父によって「いらだたせられる」ことばかりでした。
何度もむちを受けましたし、言うことを聞かなかった、ちゃんと片付けなかったからと、持ち物を勝手に捨てられることもしばしばでした。
長老は聖霊によって任命されると教えられてはいましたが、私は疑問を覚えていました。
こんな父が、果たして本当に聖霊に導かれているといえるのだろうか、と何度も思っていました。
高校卒業後、私は正規開拓者になり、新聞配達などのアルバイトをしながら伝道に明け暮れていました。
また、父の後押しもあってか、まだ19歳でしたが奉仕の僕に任命されました。
長老である父と一緒に会衆の組織に関わることが増えてきましたが、会衆内の様々な問題を目にするようになりました。
特に、父ともうひとりの主宰監督との対立が深刻だったため、私もその対立に巻き込まれていきました。
父は義に過ぎるところがあり、主宰監督が「甘い」と突っかかることが度々でした。
そのため、私と主宰監督、また他の奉仕の僕たちとの関係もギクシャクするようになりました。
そのころ、元いた会衆の隣の会衆の長老と再会する機会があり、その会衆は奉仕の僕が足りないという話を聞き、私はその会衆に移りました。
毎月のように公開講演や割り当てを果たし、実家の会衆のごたごたからも離れることができ、充実した生活を送ることができる・・・そんな矢先、私は突如うつになって寝込んでしまいました。
新聞配達の仕事も辞めざるを得なくなり、開拓奉仕も降りました。
それまでJWとしてエリート街道まっしぐらだったにもかかわらず、脱落してしまい、目の前が真っ暗になってしまいました。
これから自分はどうしていけばいいのだろうと途方に暮れました。
本来ならば親元に戻って休養すればよかったのでしょうけれど、父が会衆でごたごたを引き起こしている実家に戻っても精神的に余計にしんどくなること、そして実家が経済的に厳しく、親のすねをかじるような余裕が全くなかったことから、実家に戻ることはできませんでした。
抗うつ薬を飲みながら仕事を探し、大阪にあるIT企業に就職しました。
そのころ、中学校の担任から突然連絡がありました。
元彼女が病死したとの知らせでした。
葬式に参列できないため、私は葬式の前日に駆けつけ、遺体と対面しました。
僕は彼女のために何ができたのだろう、もっとずっと一緒にいてあげればよかった、と思うと、後悔と悲しみで涙が止まりませんでした。
自分がエホバの証人であることを心から後悔した瞬間でもありました。
既に奉仕に行かなくなっていましたが、集会に出席することも苦痛に感じはじめ、自然消滅しました。
当時の私の気持ちをまとめますと、おもにふたつ、
 ・うつになって宣教者になる道が閉ざされ、現実と向き合わざるを得なくなり、はじめて自分の将来について真剣に考えるようになった
 ・会衆のゴタゴタに巻き込まれることにより、またその混乱の元凶である父が聖霊によって任命された長老であるという事実から、JW組織に対する信頼を失った
ことが大きかったように思います。
その当時から「エホバの証人情報センター」などのホームページがありましたが、うつで思考能力が低下していた私にはそういったサイトの内容を読んで考えるだけの精神的余裕は全くなく、また、JW組織を否定することはすなわち両親や親しい仲間たちを否定することにも等しかったため、そんな気持ちにはなれませんでした。
その後、実家の会衆内の対立はさらに激しくなり、ついに父は長老を降ろされてしまいました。
そのことに強いショックを受けた父は、断絶してしまいました。
また、以前から母が父をいさめ続け、父を擁護しなかったため、母に対する不信感も爆発させてしまい、離婚してしまいました。
当時、実家には小学校入学直前の弟がいましたが、父は養育費を入れることもなく、家を去っていきました。
そのため、私が母と弟を養わざるを得なくなりました。
私は父を激しく憎み、恨みました。
一方、母に対しても落胆させられることが多々ありました。
私が、いわば「霊性を犠牲にして」仕事して帰ってきているにもかかわらず、母は奉仕に明け暮れ、私が帰宅しても食事が用意されていなかったり、私が仕事に着ていく服が洗濯されていないことも度々でした。
そのころから元JWの方々とインターネットを通じて交流を深めるようになりました。
今まで誰にも打ち明けることのできなかった悩みや葛藤を吐き出すことができ、徐々に気持ちの整理ができるようになりました。
その後、私が28歳のとき、母の猛反対を押し切って、職場の同僚と結婚し、実家を離れました。
ようやく社会人としてまともな仕事に就き、結婚して家庭を持つことができ、私は一般人の幸せをつかめたように思いました。
しかし、幸せは長くは続きませんでした。
当時、私は毎日のように深夜まで働き、休日出勤することもしばしばでした。
職場での責任も加わり、過労とストレスのためにうつが再発してしまい、仕事をペースダウンせざるを得なくなりました。
そのころ、妻も職場でのいじめをきっかけにうつになってしまい、私は自分自身を支えてもらいたいにもかかわらず妻を支えなければいけないという、非常につらい立場に置かれてしまいました。
私は途方に暮れました。
だれに相談すればいいのだろう、だれに助けを求めたらいいのだろう。
そのとき、わたしは放蕩息子のように「神様のもとに帰ろう」と思いました。
それから私はエホバの証人に関する本を読みあさり、インターネットで情報収集しました。
そして、実家近くにある宇治バプテスト教会を見つけ、訪ねていきました。
これまでのいきさつについて牧師夫人にお話すると、姉妹はぽろぽろと涙を流し、「今までほんとにつらかったよね」と言ってくださいました。
それから、姉妹との学びを通して、イエス・キリストは被造物ではなく神であられること、救いは将来の見込みではなく十字架によって既に完成されたものであることを理解することができました。
私は小学生のころから「誰も自分を助けてくれないけど、神様は必ず自分のことを見ていてくださって、助けてくださる」と信じていました。
今から思えばあのころから、まだ私は気づいていませんでしたが、聖霊は私と共にいてくださったように思います。
私がJW組織を離れることを決意したときも、「神様がおられるなら、私がJWを離れてどこに行くべきか、示してくださるに違いない」という確信がありました。
主が私の心の叫びに確かにこたえてくださり、導いてくださったことに、心から感謝してやみません。
私は2009年6月21日、「父と子と聖霊との名において」洗礼を受けました。
現在は大阪城東キリスト教会に交わっております。
今年の聖会で、私は献身の決心をいたしました。
エホバの証人をはじめとするカルトで傷ついた人たち、心を病んでいる人たちを救うため、みこころであればこの小さな器をお用いいただきたいと考えております。


あなたの夢は何ですか

カンボジアで宣教されている、ウィルキンス祐子・クリスご家族が、城東キリスト教会に来てくださいました。
http://www.geocities.jp/fmkaisenshienkai/willkins01.html
カンボジアでの宣教・自立支援についてお話を聞いた後、「夢」についての奨励をいただきました。
使徒2:17,21。これはヨエル2:28,32の引用です。
『神がこう仰せになる。終りの時には、/わたしの霊をすべての人に注ごう。
そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、/
若者たちは幻を見、/老人たちは夢を見るであろう。
そのとき、主の名を呼び求める者は、/みな救われるであろう』。
「若者たちは幻を見、老人たちは夢を見る」とあります。
若い人も年取った人も、聖霊を注がれた人は皆、夢を見ると預言されています。
では、あなたの夢は何でしょうか。
夢を壊す要素が4つあります。
 1.この世の常識
    家族や親戚、親しい友人ほど、夢破れたときを案じて、否定的なことを言いがちなものです。
 2.環境やしがらみ
    「自分はこの仕事をやらなければならない」「家族の面倒をみなければならない」といったしがらみによって、
    夢の実現をあきらめ、今までどおりの生活に戻ってしまうことがあるかもしれません。
 3.自分自身
    自分には夢を実現させるだけの学歴がない、経験がない、資質がないと思ってしまい、あきらめてしまうことがあるかもしれません。
 4.夢そのもの
    その夢が神から来たものかどうかによって、夢を実現できるかが変わってきます。
    使徒2:21には「主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう」とあります。
    この目的を達成するため、聖霊はわたしたちに働き続けます。
    自己実現を夢の動機とすること自体は間違いではありませんが、自己実現が第一の動機となっている場合、神はその夢を“壊される”ことがあります。
では、あなたの夢は何か?それを知るためのヒントが3つあります。
 1.神はあなたのすべての好みを用いられる
    自分がやりたいこと、好きなこと、神はそれを用いられます。
 2.神はあなたのすべての経験を用いられる
 3.神はあなたのすべての恐れを用いられる
    恐れがなければ、神に依り頼まなくても、すべて自分の力で実現できてしまいます。
    恐れがあるからこそ、神に依り頼み、そこに神の力が働きます。
そして、あなたの夢を見極めるための手段が4つあります。
 1.直感
 2.みことば
    直感だけでなく、その夢を指し示すみ言葉が与えられるとき、それが神からのものかどうかを見極めることができます。
 3.霊的な先輩
    アドバイスを受けることにより、夢を見極めることができます。
 4.夢の実現のために一歩踏み出すとき、おのずと道が開かれるか
私が子供のころ抱いていた夢は、エホバの証人の宣教者になることでした。
しかし、組織につまずき、教理に疑問を抱き、鬱になったのを機にエホバの証人から離れ、その夢を諦めました。
それからの私は、目の前を生きることだけに必死でした。
社会人になり、結婚し、ささやかな幸せをつかみたいと思っていました。
その後、正社員になり、結婚しました。
夢を実現できたという満足感がありました。
しかし、それも長続きしませんでした。
鬱が再発して仕事を辞めざるを得なくなり、結婚生活も破綻しました。
自分の生きている目的は何なんだろうと自問しつづけました。
そんな中、私は救われ、クリスチャンとなりました。
私の目の前に思いがけず、牧者となるという道が開かれました。
私には、エホバの証人に対して、特に2世に対する強い思いがあります。
クリスチャンになる前から、2世が自立し、自由をつかみ、幸せになってほしい、そのために自分の経験を生かしたいという思いを抱いてきました。
それが私に対するひとつの召しであるという確信が、受洗してから今日に至る2年の間に強くなっていきました。
祈りつつ、みことばを学びつつ、牧師をはじめとして霊的な先輩の方々に相談するうちに、神学校に進む道が指し示されてきました。
改めて献身の誓いを立てた私には、恐れがあります。
自分のような無力で学歴のない者に何ができるというのか。
これから押し寄せる数多の問題に押しつぶされ、また倒れてしまうのではないかという不安は消えません。
しかし、その恐れがあるからこそ、神に依り頼めることを、私は心から感謝しています。
私が自分の力ではなく、神の力によって、神のみこころを実現するために働かせていただけることは、喜びです。


元JWオフ会情報(7/16・東京)

元JW 恒例の夏オフ会の案内@東京が来ました。
幹事のとしきさんに転載許可をいただきました。
僕も今年こそは参加しようと思っています。

> また7月の3連休が近づいてきました!
> 恒例の夏オフ会やります!
> 都合の良い方は是非来て下さい!
>
> いつものとおり7月の3連休の初日の土曜日です。
> 他もやっぱりいつも通りです。
>
> 【オフ会詳細】
> 1.日時:2011年7月16日(土)
>  (1)1次会:(お茶)15時~
>  (2)2次会:(居酒屋)18時~
>  (3)3時会:(カラオケ)24時~(オールナイト)
>
> 2.場所:いつもの田町
>  (1)1次会:いつものサイゼリア
>  (2)2次会:いつもの甘太郎
>  (3)3時会:いつもの歌広場
>
> ※詳細の集合場所やお店の場所については別途ご連絡します。
> ※まだ掲示板は作れてません。。。
>
> 参加希望者はとしき宛てにメール下さい。
> 今回もとてもたくさんの方に送っており、参加者を間違えないようにするために、
> お手数ですが返信の際は必ずご自分の名前(HN)を記載して返信して下さい。
>
> また、仕事の都合で返事が多少遅れることがありますがご了承下さい。
>
> なお、締め切りは7月3日(日)とさせて下さい。
> 仕事の都合などで参加できるか参加できるか分からない方もその旨明記の上申し込んで頂いて結構です。
> 皆さんからの参加表明と情報をお待ちしております。
>
> 質問、不明点などあれば連絡して下さい。
> ではでは。
>
> としき
> toshiki○apost.plala.or.jp (○をアットマークに変えてください)


創造と進化 ? 牧会者の視点から

https://twitter.com/#!/p_takeo/status/63133918953607168 より。
創造と進化? ?牧会者の視点から
“Creation, Evol ution, and Christia n Laypeople”
ティム・ケラー(Redeemer Presbyterian Church牧師)
http://biologos.org/uploads/static-content/TimKellerWhitePaperJapanese.pdf

進化に関する科学的な記述と、自分たちの伝統的な神学的信念の間で、どのように折り合いをつけたらいいのでしょうか。キリスト教の求道者や探求者にいたっては、キリスト者以上に当惑しています。キリスト教信仰の大部分に心を惹かれても、「聖書を信じるためには科学を拒絶せよというなら、私にはとても聖書を信じることはできない」と思ってしまうのです。
私自身、同じ戸惑いを抱いていましたので、とても納得できる説明でした。
ぜひご一読なさってみてください。


入会式の証し

今日はイースター礼拝。
そして、入会式がありました。
以下、私の証です。
私はエホバの証人の家庭で育ちました。
5歳のころから聖書を読み、聖書を学んできましたが、エホバの証人だけが真の宗教、真のクリスチャンであると教えられていました。
エホバの証人は聖書を独自に解釈しています。
三位一体を否定し、神様はエホバただひとりであって、イエス・キリストは神ではないと教えています。
また、イエスは十字架ではなく真っ直ぐな杭にかけられた、十字架のルーツは異教なので、十字架を掲げている教会は異教の影響を受けていると教えます。
それで、私にとって十字架は、鳥居やお寺の卍と同じようなイメージ、異教のシンボルだと思っていました。
エホバの証人は、布教活動にたいへん熱心です。
私も、小学校に入学すると同時に伝道者になり、かばんに「ものみの塔」を入れて、家から家を訪ねていました。
そして、小学6年のときにバプテスマを受けました。
将来は宣教者になると心に決めていましたので、先生から大学進学を何度も勧められましたが断り続け、商業高校を卒業した後は、パートの仕事をしながら布教活動中心の生活をしていました。
しかし、エホバの証人の教えは福音とはほど遠いものです。
エホバの証人にとって救いは、ハルマゲドンが来るまでずっとエホバの証人の組織にとどまって、様々な規則を守っていれば得られる「見込み」に過ぎません。
ローマ5:21は「罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである」とありますが、エホバの証人が使っている新世界訳聖書では、この箇所が「永遠の命の見込み」となっています。
自分が救われたという確信を持っていないのに布教活動をしなければならず、とてもしんどかったです。
また、父との関係も私にとって大きなストレスでした。
父も祖父から愛されずに育ち、常々「自分はどうやって愛を示せばいいか分からない」と言っているような人でした。
そんな父はエホバの証人の中で「長老」という、会衆における牧師のような立場にありましたが、他の長老との激しく対立し、そのトラブルに私も巻き込まれ、精神的に限界に追い詰められていきました。
20歳のとき、私は実家を離れて京都市内で一人暮らしをはじめましたが、まもなく鬱になって寝込んでしまい、仕事を辞めざるを得なくなりました。
鬱になったのをきっかけに、布教活動に出かけるのもやめ、パートではなく正社員の仕事を探しました。
そのころからエホバの証人としての活動はフェードアウトし、仕事に没頭するようになりました。
ただ、エホバの証人を辞めることは、エホバの証人である家族や仲間との絶縁を意味します。
そのため、正式に脱退することは、当時の私には考えられませんでした。
それから数年経ち、うつもなくなり、バリバリ仕事をこなせるようになりました。
そのころ会社の同僚と結婚しました。
相手の女性はもちろんエホバの証人ではありませんので、母は反対しましたが、反対を押し切って結婚しました。
その後、妻が職場のいじめをきっかけにうつになり、仕事を辞めたあとは完全に家に引きこもってしまうようになりました。
そのころ、私も当時の仕事が多忙を極め、過労からうつが再発してしまいました。
自分も妻も精神的にボロボロになり、誰かに相談したいと思いましたが、反対を押し切って結婚した以上、親に相談することもできません。
そこでふと、「教会に行ってみよう」と思い立ちました。
十字架に対する心理的な抵抗はありましたし、エホバの証人が教えていることはおかしいというのは漠然と感じていましたが、具体的にどこが間違っているのか、本当の福音とは何か、当時の私は全く分かっていませんでした。
そこで、インターネットで検索し、実家の近くにある宇治バプテスト教会を訪ねました。
牧師ご夫妻との対話を通して、またそのころ購入したウィリアム・ウッド先生の「エホバの証人の教えと聖書の教え」といった本を読むことによって、ほんとうの神様はどんな方でいらっしゃるのかを理解するようになりました。
神様に受け入れられる人間になろうと努力しなくても、ありのままで神の胸に飛び込んでいけばよい。
そうして神の愛に触れた結果、愛の人に生まれ変わることができる。自分をありのままで受け入れるように、人を受け入れることができる、と教えられ、「聖書はそんなことを教えていたのか!」という驚きの連続でした。
自分が今までいかに恵みから遠く離れたところにいたのかを知り、インマヌエル「神われらと共にあり」と心から言えるようになりました。
2009年6月21日、須磨海岸で洗礼を受けました。
しかし、その後も試練の連続でした。
私自身、うつから回復するためにしばらく休養が必要な状態でしたが、妻の病状は深刻でした。
もうひとつ、とてもつらかったことは、共に祈れないことでした。
妻は創価学会の家庭で育ち、ご本尊を信仰していました。
結婚する当時は、お互い宗教とは距離を置いて生活していましたので、衝突を避けていましたが、私も妻も限界に追い詰められたとき、私はクリスチャンとして神に祈り、妻はお題目を唱え、宗教の違いが大きな壁になりました。
何度も話し合った結果、このままでは共倒れになってしまう、お互いの回復のために、また、お互いの信仰を尊重するために、離婚に至りました。
妻は実家に戻りましたが、私は実家に戻れませんでした。
実家に戻れば、またエホバの証人に戻ってこいとの圧力をかけられます。信仰を守るために、わたしはエホバの証人から正式に脱退し、ひとり暮らしを始めました。
親とは絶縁状態になりましたが、詩編27:10にあるとおり、「私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。 」という言葉を実感しています。
主は私に、たくさんの恵みを注いでくださいました。
ローマ5:3,4にある、「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。」という言葉に、心からアーメンと言えるようになったことは、本当に感謝です。
子供のころ、将来は宣教者になろうと決めていました。
マタイ12:20の「いためられた葦を折ることがなく、煙っている灯心を消すこともない」という言葉は、私に対する召しだと思っています。
主のみこころであれば、いつか宣教師としてお用いいただければと思っています。
そして、エホバの証人や統一教会をはじめとするカルトで傷ついた人が福音によって癒されるお手伝いができればと思っています。


受難日

「エホバの証人」の記念式は17日でしたが、
教会暦では、昨日が洗足木曜日(「最後の晩餐」)、今日が受難日です。
僕の所属する城東教会では、今日の礼拝はなかったので、都島教会に行ってきました。
「主の葬り」
Seeker - Joel の エホグ-主の葬り
詩編を読み、祈祷をささげ、十字架を先頭に町内を行進。
キリストの死と勝利について、認識を新たにされました。
とても感動しました。