小さい子どもを叩くしつけも必要? 米調査で「良い子に育つ割合が高い」。
http://www.narinari.com/Nd/20100112861.html
米国の心理学者が「最後に叩かれたのはいくつのときだったか」という調査を実施。現在の環境と比べ、「叩かれる」ことと成長の関連性を調べる研究を行った。
その結果、全体の4分の1は「全く叩かれた経験がない」ことが判明。そして、全く叩かれたことがない人は、叩かれた経験のある人に比べ「あらゆるポイントで、ほかのグループより悪い結果になった」そうだ。具体的には「反社会的行動や早めの性交渉、暴力やうつ」など、何らかの精神的な問題を抱えやすい傾向が見られたという。
最も良い結果になったのは「2歳から6歳までに叩かれた人」で、次いで「7歳から11歳までに叩かれた人」。ここでの違いは、7歳から11歳までの経験者の方が「よりケンカをしやすい」傾向があったものの、叩かれた経験のない人よりは「進学では成功している」そうだ。
また、英紙デイリー・メールでは、叩かれた経験のある人は「将来設計や生活力、大学での向上心やボランティア作業など、多くの能力に信頼が見られた」と伝えている。ただ、「12歳を過ぎても叩かれた人だけ、否定的な影響を受けると分かった」ともあり、子どもが大きくなってから手を出す場合は、充分な注意も必要らしい。
全体の4分の1が「全く叩かれた経験がない」とのこと。
親が子供に毅然とした態度を取れないのは、実に嘆かわしい風潮ですよね。
しつけをしてもらえない子供がかわいそうです。
子供に対して懲らしめが必要なのは当然のことです。
とくに幼児期は、くどくど説教しても無駄でしょう。
簡潔かつ明快に、正しいことと間違っていることとを教え込むには、時には「むち」を使う必要もあるでしょう。
問題は、子供の成長に合わせて、子供自身の良心や判断力をどうやって育てるか、だと思います。
いつまでも怒鳴りつけたり体罰をしたりしていては思考停止してしまい、良心や判断力が育ちません。
むしろ、子供が納得するまで話し合うほうが必要になってくると思います。
「むち世代」のJW2世の多くが、本来は良心や判断力を育てるべき時期に、体罰や恫喝によって抑圧され続け、その影響がその後の人生の「生ききづらさ」につながっているように思えます。
僕自身、父からの度重なる恫喝のために、自尊心の欠如や「生きづらさ」を感じてきました。
それから、もうひとつ大切なことは、「叱った分の倍、ほめる」ことです。
子供が、無条件に愛されていると感じること、親は自分を愛しているがゆえに自分を正しい道に導こうとしてくれているんだと感じられること、これが大切だと思います。
親が感情にまかせて当たり散らしていては、子供は傷つきます。
親の言うことが一貫していなければ、子供は不安になります。
「あんたはいらない子だ」などと言われようものなら、自尊心の欠如は、子供の人生に大きな悪影響を与えることでしょう。
親の言いつけを聞かなかったりしたとき、「あんたはサタンの子だ」などと罵倒されたJW2世はどれほどいることでしょう。親たちは、その言葉が子供の心をどれほど傷つけているか、分かってないんでしょうね・・・
ちなみに、エホバの証人が用いている新世界訳聖書では、箴言の中に「懲らしめ」という語が30回出てきます。
ところが、新改訳聖書でそれらの聖句を見てみると、「懲らしめ」ではなく「訓戒」と訳されている箇所のほうが多いです。
たとえば、エペソ6:4を、新世界訳と新改訳で比較してみます。
(新世界訳) また、父たちよ、あなた方の子供をいら立たせることなく、エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい。
(新改訳) 父たちよ、あなががたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒とによって育てなさい。
エホバの証人が過度に「懲らしめ」にこだわる一因として、新世界訳において度々「懲らしめ」という語が現れることも関係しているように思います。
帰省
元旦と2日は実家にいました。
ひさしぶりに帰った実家にはTVが置いてあり、二日間のほとんどはTV(ほとんどお笑い番組ばかりでしたが)を見て過ごしました。
おかげで、JWネタを振られることもほとんどなかったのですが・・・
「創造の驚異」とかいうDVDを見せられました。
まぁ、よくできていますが、「エホバ」を連呼するのと「楽園での永遠の命」に話をもっていくところがどうも・・・
あと、夕食のときにお祈りをさせられました。(-_-;
やはり実家はいろいろ気を遣うので疲れます。
ネット環境もないのがつらい。
携帯で必死にmixiの「サンシャイン牧場」をやってました。(^^;
でも、下の弟が甘えてくると、兄としては嬉しくなっちゃうんですよね。
未信者のご主人が、家族のためにJWになろうと思う気持ちってこんなのかなぁ、とか思ったりしました。
あけましておめでとうございます
2010年になりました。
大不況のまっただ中、先行きの見えない世の中ですが、
心の中では、いつも希望を抱きつづけていたいと思います。
昨年、ブログを通して知り合うことができた、たくさんの方々に感謝します。
今年もどうぞよろしくお願いします。
メリークリスマス!
ごぶさたしています。
いろいろありまして、しばらくブログの更新はお休みしています。
皆さんにとって、幸せな聖夜でありますように☆
11/28(土) なんばオフ まとめ
午前10時すぎに、難波に到着。
一次会場に向かい、掃除・片付け。
11時にマイミクさんご夫妻が名古屋から来られる。
一緒に五右衛門のパスタを食べ、その後は一次会場にて歓談。
14時ごろ、ゆずぽんちゃん到着。
マイミクさんをお見送りしたあと、ゆずぽんちゃんとコンビニへ買い出し。
14時半ごろ、HIROさん到着。
つづいて、あっちゃんがはるばる山陰から到着。
そのうち、Aさん(仮称)親子、ロキュータスさん、あるふぁさん、ふゆっこさんと、順次到着。
一次会場があまりに意外な場所で、皆さん驚かれていましたが、
けっこう盛り上がりました。(^O^)
とくにAさんママ、完全に場を仕切ってるしw
さすが母強し!
17時半すぎに一次会場を撤収、二次会場の居酒屋へ移動。
ひとごみの中で、ゆずぽんちゃんは兄チェルベロさんと感動の再会!
居酒屋の前で、LINさんと合流。
その後、愛弥さん、mountainさんも来られて、二次会スタート!
予定より人数が増えてしまったこともあり、部屋が狭いとか料理が少ないとか、
いろいろ問題はありましたが、それぞれ歓談いただけたかと。
20時すぎに居酒屋を退出。
風邪ぎみの愛弥さん、LINさん、そしてAさん親子と別れ、残ったメンバーで三次会@カラオケへ。
あるふぁさん、大熱唱!
あっちゃんは完全にキャラが変わっちゃってるしw
一次会とは違う面がみられて楽しかったです。
大盛り上がりしてるうちに、23時半になってしまいました。
チェルベロさんは完全に酔っちゃって、ひとりで歩けない状態。
その後どうやって自宅までたどり着いたかは、ゆずぽんちゃんのオフレポを参照w
・・・といったかんじで、大いに盛り上がったオフ会でした。
次回は春、3月の三連休あたりにやりたいなぁ、と思っております。
インタビュー:村上春樹、 「1Q84」で描くポスト冷戦の世界 (ロイター)
村上春樹が、ロイターのインタビューにこたえています。
http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-12605620091125
「地下鉄サリン事件後、村上氏は60人以上の関係者にインタビューを重ね、なぜ人々がカルト集団に入るのかを追究してきた」そうです。
その中には、エホバの証人2世も含まれているものと思われます。
「一体どういうふうに生きればいいのか、何を価値、軸として生きていけばいいのか、当然そういう疑問が出てくるが、今、特にこれという軸がない。カルトというものはそういう人たちをどんどん引き付けてゆくことになると思う。僕らができることは、それとは違う軸を提供することである」と村上氏は言う。
過去記事:
1Q84 BOOK1
http://
1Q84 BOOK2より
http://
寄稿文の補足 by Joel
先の記事、クリスチャンの方々にとっては、「なんて不信仰な文章だ」と思われるかもしれません。
しかし、これはあくまでも、親から信仰を強制された二世の言葉であることを念頭に置いていただきたいと思います。
二世たちは、信教の自由・良心の自由・思想の自由を与えられずに育てられました。
彼らにとって、まず、「神を信じるか信じないか」を選ぶ権利が与えられること、これが脱カルトの第一歩なのです。
残念ながら、多くの二世にとって、絶対主義的なJW組織・親のイメージが、そのまま神のイメージとなり、嫌悪の対象となっているのです。
彼らに、単に「神を信じよ、イエスを信じよ」と説くだけでは、彼らの心は救われません。
まず、「良きサマリア人」となってくれる友人を通して、神の愛と恵みを実感してもらうこと、そういった体験の積み重ねを通して、これまでエホバやJW組織に抱いていたのとは違うものが、真の神に、真のクリスチャンにあるということを、時間をかけて知ってもらう必要があると思います。
それから、「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、「衣食足りて信仰を知る」とも言えると思います。
親と絶縁し、頼れる身内もなく、生活するすべも知らず、衣食住に困窮する二世にとって、信仰なんて二の次です。
まずは、この世間の大海の中で生きていくことこそが、最初かつ最大の試練なのです。
ですから、まずは彼らが一人前の社会人として生きていけるようサポートすることこそが必要とされていると思います。
まず住む場所を確保し、仕事に就き、食べていけるだけの収入が得られるようになって初めて、自分の内面を見つめ、将来について考え、信仰について思いを致すことができるようになるのではないかと思います。
実際、僕自身がそうでした。
20代前半でJWを離れた当時、「宗教組織なんてもうたくさんだ。誰とも関わりたくない」と思っていましたし、「何が真理か、何が間違いかを考える余裕もない」という状態でした。
それから10年近く経ち、社会人として自立し、多額の負債も返済し、結婚して精神的な安定が得られるようになってはじめて、改めて自分の内面を見つめ直し、将来について考えるようになりました。
そして、「自分ひとりで信仰生活を歩んでいくのは困難だ。自分の信仰を支えてもらえる教会を自分は必要としている」と考えるようになりました。
第15回 エホバの証人被害者全国集会
ものみの塔=
エホバの証人
第15回 被害者全国集会
日付: 2009年11月21日(土)
場所: 八王子市民会館 3F 第5・6会議室
(八王子市上野町32番地の1 )
http://www.hachiojibunka.or.jp/shimin/top.htm
時間: プログラムは、 午後1:30~午後4:00
プログラム終了後、午後5:00~午後6:30まで、夕食
夕食後、午後6:30以降は希望する人が残っての座談会となります
これまで、エホバの証人問題へ様々な立場の方々が果敢に取り組み、多くの救済の業を成し遂げてこられました。
しかし、依然として証人問題による被害とその犠牲者は後を絶ちません。
時代の移り変わりと証人の態様も変わり、問題解決・救済方法も変化をせまられる今、求められている事は何でしょうか?
カルト問題に対し、心の癒しから法的対処まで多岐に渡るケアをなさってこられた、村上密牧師をお招きして、これからのカルト被害者救済、更にはその予防について共に考えたいと思います。

過去の「被害者全国集会」については、こちらに載っています。
http://members.at.infoseek.co.jp/thinkJW/
過去の記事にも書いていましたが、
http://ameblo.jp/exjw/entry-10307972677.html
「元JWや、JW問題と関わる人たちをサポートするための組織」の立ち上げについて、この全国集会で発表する予定です。
「エホバに歌う」はイケてない! 「エホバよ、わたしたちは感謝します」編
(mixiには数日前にアップしてましたので、もう読んだ人はごめんなさい)
ご好評におこたえして(w
第二弾。
212番の歌。
1番。
旧) エホバよ われら感謝せん
↓
新) 感謝します 父エホバ
旧) なが光 注ぎたもう
↓
新) 道を照らす光を
ちょっと意味が変わってない?w
旧) 祈りもて なれに頼る この特権 感謝せん
↓
新) この祈りの賜物を 感謝します あなたに
「なれに頼る」が欠落。「特権」→「賜物」にかえたのはまだよかったか。
2番。
旧) エホバよ われら感謝せん み子 死に勝ちたまえり
↓
新) 感謝します 父エホバ み子イエスの犠牲を
「イエスの犠牲に感謝する」のは間違ってはいない。
でも、イエスは死に勝利した!という感動は失われた。
旧) われに誓い果たさしむ 導きに感謝せん
↓
新) 誓い 果たす 導きを 感謝します 日ごとに
べつに「感謝せん」でええやん、って気になってくる・・・w
3番・・・消失。涙
旧) エホバよ われら感謝せん まことの友 賜えり
忠実保つを助く なが霊に 感謝せん
4番→3番に。
旧) 感謝せん み名と真理 告ぐるは わが誉れよ
↓
新) 感謝します 父エホバ み名 伝える 誉れを
「真理」が消えた!w
旧) 悪は去り なれの恵み とわならん 感謝せん
↓
新) 永久(とわ)に続く王国を 感謝します エホバよ
あくまでも「王国」を強調したい。
「恵み」という言葉を使いたくない、という意思がひしひしと感じられますw
というわけで、こちらもグダグダになっちゃいました・・・
新しい歌の本はイケてへん!「クリスチャンの献身」編
あえて関西弁のタイトルにしてみましたw
新しい歌の本、「エホバに歌う」。
4番まであった歌詞が3番まで、3番まであった歌詞が2番までというように、中身を削ってる。
そして、従来の文語体をムリヤリ口語体に変えたもんだから、さらに内容が欠落。
その一例をば。
バプテスマといえばこの曲、「クリスチャンの献身」。
従来は13番でしたが、新しい本では7番。
1番。
旧) エホバは宇宙を造りし方
↓
新) エホバは宇宙を造り出した
おいおい、敬称がなくなってもうたやんw
旧) 天地み手の業 神のものよ
↓
新) 天も地も すべて エホバのもの
「み手の業」が欠落。「エホバ」を強調。
旧) 命の源 人に示す 崇拝 神にのみ捧ぐるべきを
↓
新) 賛美と崇拝 受けるべきは 命の源 エホバ神のみ
ここでも「エホバ」を強調。
2番。
旧) イエス 川に来る 義をなすため み旨果たさんと 身を差し出す
↓
新) イエス ヨルダンで 身を差し出す エホバのご意志を 行なうため
「義をなす」が欠落。
またまた「エホバの」ご意志を強調。
旧) 水より上がれり 霊注がれ 忠節に仕えり 聖別されて
↓
新) 聖霊 注がれ 神に仕え 忠節を尽くして 献身 果たす
イエスの神格性をよほど否定したいのかw
3番。
旧) み前に来たれり み名誉めんと
↓
新) 今 わたしたちは み前に立つ
「わたしたち」w
「われら」でええやん。2音無駄。
「み名誉めんと」が欠落。
旧) 我ら己捨て 命捧ぐ
↓
新) 自分の命を ささげるため
「己捨て」が欠落。
旧) 尊きみ子もて 買われたれば
↓
新) 贖い 感謝し 固く誓う
うーん。
「贖い 感謝し」が薄っぺらく聞こえる。
「み子の尊い命をもって買い戻された」概念が欠落。
旧) 死ぬるも生くるも なれのためなり
↓
新) 生きるのも死ぬのも あなたのためと
意味は一緒なんだけど、語感が違う。
むりやり現代語にするから、なんかぐだぐだになってしまうってかんじ?