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フランクリン・グラハム大会

行ってきました。
フランクリン・グラハム個人に対しては、良い印象を持っていません。
2006年、沖縄でフランクリン・グラハム国際大会が開かれた際、反対声明が出されました。
http://henoko.jp/info/20061031graham.html

村上 密 Blog : ビリー・グラハム
http://maranatha.exblog.jp/13014788/
しかし、関西のクリスチャンが一同に会し、共に賛美する、このような場はめったにないことでしょう。
阪神のマートン選手の証も聞くことができました。
とても感動しました。


Twitter にハマり中 (^^;

脈絡もなく思いついたことをつぶやくスタイルが身に着いちゃって、ブログの更新がしばらく滞りそうです。(^^;
分類ごとにまとめて投稿しようとは思っているのですが・・・


晴れるや先生のブログより

ですから、私たちは勇気を失いません!

http://ameblo.jp/jesusno1/entry-10669325625.html

今もがんと闘病されている、晴れるや先生。
先生の生きざまが、まさに大きな証しとなっています。
ローマ8:31~39 と Ⅱコリント4:11~18
何度も読み返したい聖句です。

いつか自分が死の床についたとき、「外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされる」と言えるようになりたいと思います。
神のみ手に抱かれて、神のもとに招かれる日の近づいたことを喜びたいと思います。
その日が来るまで、今しばらくは神が与えてくださった命という賜物をフル活用して、「世の光」として輝きたいです!


怒りを捨て去る

多くの2世は、自分の人生を自分で選ぶことを禁じられ、感情を否定され、存在さえも否定されてきました。
それでも愛する親だから・・・いや、愛なんて失ってしまっても、生きていくには親に依存せざるを得ず、自分の感情を内に秘めてきた人が多いのではないかと思います。
でも、思いは言葉にしなきゃ伝わりません。
自分がいかにつらい思いをしているか、どれほど自尊心を傷つけられ、生きる気力を失っているか、親にはっきり訴える必要があると思います。
訴えたからといって、親がすぐに変化することは難しいでしょう。
でも、あきらめずにボールを投げ続けていくことによって、親の反応も変化していくかもしれません。
なにより大切なのは、怒りや悲しみを内に秘めたままにせず、吐き出すことです。
そうすることにより、「怒りを捨て去り」、新たな人生に向かって歩みを進めていくことができます。
2世の皆さん、親と一度話をする場を設けたほうがいいと思います。
自分がどんな気持ちを抱いていて、なぜつらいのか、率直に訴えたほうがいいと思います。
なお、どうしても親が変わらない場合・・・
第三者が介入する方法もあります。


母に電話

4ヶ月ぶりに母に電話をかけてみた。
留守電になったが、折り返し電話がかかってきた。
5分ほど話した。
少しでも母を安心させたかった。
母の心の内は分からない。
でも、声を聞いて少し安心した。
沖縄の祖母も元気とのこと。
ほんまによかった。


父への怒り

子供のころ受け続けた虐待の傷は、なかなか癒えない。
父にどなられ、殴られ、絶え間なく精神的に追い詰められたトラウマは、そう簡単に消えない。
父が母や弟を捨てて家を出て行き、別の女と一緒になったとき、父への憎悪は頂点に達した。
でも、怒りや憎しみは周囲の人々を傷つけ、自らを蝕んでいく。
僕自身、怒りに振り回されて生きることに疲れた。
自分も結婚し、少しは父に感情移入できるようにもなった。
7年間、音信不通だった父と再会した。
還暦が近づいた父は、すっかり老いぼれていた。
哀れでさえあった。
そんな父が、自らの非業を悔いることなく未だに被害者面していることに、怒りを通り越してあきれ果ててしまった。
父の改心を期待した僕がバカだったと思い知らされた。
父のことは神にゆだねようと心に決めた。
父への尊敬を失ったわけじゃない。
父らしくしてほしいという期待もある。
期待するからこそ、父親としての責任から逃げ続ける父に対する怒りを覚える。
でも、かたくなな心が砕かれるのは簡単なことじゃない。
父が変わろうとしない限り、あるいは神のみ手が父に及ばない限り、父は変わらないだろう。
だから、父への怒りがこみ上げるたびに、僕は祈る。
「神よ、父のことはあなたにゆだねます。僕が善をもって悪に打ち勝てるよう、僕に力を与えてください」


父と母(2)

幼いころを思い返すと、親が自分のことをなかなか理解できず悩んでいた様子を、子供ながらに感じていたように思います。
母曰く、幼いころADHDだったことも関連があるかもしれません。
母はよく「会話するときに目が合わない」と言いました。
中学に入ったころには目を見て話せるようになってましたが・・・。
父も、僕の「男らしくない」性格を理解できず、悩んでいたようです。
戦隊物とか、全く興味がありませんでした。
父と一緒に公園に行っても、ボール遊びより花を見てるほうが好きでした。
友達とけんかして泣いて家に帰ったとき、まだJWになる前の父は「やり返してこい!」と言いましたが、僕は拒否したらしいです。
親が自分と接するときに戸惑っている様子を子供ながらに感じていた僕は、親の期待に過度にこたえようとする傾向が働き、“優等生”でなければというプレッシャーにつながったように思います。
弟が生まれたことにより、さらに“兄”という肩書きが加わりました。
また、親もJWの活動に多忙な日々を送るようになったため、コミュニケーションはさらに希薄になっていき、強い孤独感を覚えるようになりました。
精神的に常に背伸びし、“小さな大人”と呼ばれてました。
やはり無理をしてたんでしょうね。
僕が大人になる過程は、“小さな大人”から“ふつうの大人”になっていく過程でした。
小さいころからさんざん「協調性がない」と言われていた僕が“ふつうの大人”になっていこうとすることは、“妥協”の連続でもあったかもしれません。
そして、うつで倒れ、JWの“出世街道”から落伍した時が、人生の転換点になりました。
それでも、JWと決別することは考えられませんでした。
僕が寝込んでいた間、母は毎日のように僕の下宿まで来てくれました。
何十kmもの道のりを、時には日に2回来てくれることさえありました。
そんな母の支えがなければ、僕は自殺していたかもしれません。
母にはいくら感謝しても足りません。
そんな母の「JWに戻ってきてほしい」という願いに、僕はこたえることはできませんでした・・・。
僕が背教者となったことで、母がどれほど心を痛めているかを思うと、とてもつらいです。
でも、自分の良心を偽ってJWにとどまることはできませんでした。
いつか母が、僕の信仰を理解してくれる日が来ることを願っています。


父と母

「JW2世」といっても、いろんな2世がいます。
母はJWだけど、父は未信者のパターンが多いですね。
その父も、反対者の場合と理解者の場合。
一方、両親ともにJW(いわゆる「神権家族」)の場合。
いずれの場合にせよ、両親の夫婦関係や、子供に対する接し方が、2世の心に大きな影響を与えるように思います。
僕の場合、父が反対者だった時代 → 両親共にバプテスマ → 父が長老になるも、会衆内でトラブルを多発させ母が苦悩・・・というプロセスを経てきました。
6歳まで一人っ子だった僕は、母親べったりでした。
母は沖縄出身で、中学卒業と共にパスポートを持って内地へ。
全寮制の定時制高校に入り、昼間は働き、夜は仕事をしていました。
そんな母は標準語を話していたため、僕が話すのも標準語。よく友達に「おまえは関東の子か?」と言われたものですw
次男が小さいころからバリバリの関西弁を話していた影響を受けて、母や僕まで関西弁に染まっていくのですが・・・w
母から、小さいころの話をよく聞かされていたおかげで、一度も行ったことがない沖縄に対して強い愛着を抱くようになりました。
また、戦争や平和について強く意識するようになったのも、母の影響が強いような気がします。
母の兄姉が、対馬丸に乗って亡くなった話。
母方の祖父が、不発弾が暴発して亡くなった話。
母が父と口論しては母が涙するのを度々目撃してきた僕は幼いころから「母を守らなきゃ」という思いが強かったように思います。
弟が生まれてから、僕はすっかり変わりました。
母にべったりだったのが一転しました。
兄として、しっかりしなきゃという意識を強く持っていました。
母と違い、父が幼少期について話すことはめったにありませんでした。
父にとっては思い出したくないことが多かったのでしょう。
父が好きな本は「巌窟王」だと言っていました。
今にして思えば、父の生きる力となってきたのは強い復讐心だったのだろうかと思います。
たまに実家に行っても、父と祖父が口論するのが常でした。
祖父からかわいがられた記憶もありません。
祖父と父とに共通していたこと。
自分の気が済むまで、夜中になろうが延々と話を続けること。
そして、自分の考えを押しつけてくることでした。
父が母と一緒にバプテスマを受け、父からの反対がなくなったのはうれしいことでした。
でも、父の高圧的な態度は、JWになってからも変わりませんでした。
父に対する強い反発心を抱きつつも、面と向かって反抗することもできず、「自分がJWとして自立すること」に関心が向いていったような気がします。
結果的にはそれが、親に依存しない僕自身の信仰を培うことにつながっていったのかなと思います。
バリバリ仕事をこなし、会衆でも精力的に働く父。
力でも論理でもかなわないと思っていた父。
そんな父を越えたいという思いが、自分の行動に大きな影響を及ぼしていたような気がします。
両親が離婚し、父が小学校入学前の三男を見捨てて家を出たとき、父に対する怒りを抑えられませんでした。
父から電話がかかってきましたが、「地獄に落ちろ!」と吐き捨てて電話を切りました。
一年後、友人と車に乗っていたとき、たまたま父が乗った車をみかけました。
やつれた父を見て、「父もこの一年、苦悩してきたのだろうか」と思いました。
それから数年。
正社員になり、会社での評価も得、結婚。
ひとりの社会人として自立できるようになったという自信が、父に対する感情を変えていきました。
その後、父と再会しましたが、今なお被害者意識にとらわれている父を見て、哀れに思えました。
自分は過去の奴隷じゃない。
親からの影響はあるにせよ、自分の人生は、自分で選んできたもの。
これからの人生も、自分で選んでいく。
そう思えるようになったとき、自分の心に長い間巣くってきた闇が晴れていったように感じました。
今も、JWや親に対する怒りを抑えられない2世は多いと思います。
心がいやされる過程には人それぞれ違いがあり、要する時間も違うことでしょう。
しかし、いつまでも怒りの犠牲でいることを許してしまったら、トラウマから解放される道を自分で閉ざしてしまうことになると思います。
怒りを乗り越え、愛をもって怒りを征服するとき、心のいやしと真の自由への道が開けていくと思います。


「私はどんなことにも支配されはしません」

昨日の House of Praise。


コリント第一 6:12

すべてのことは私には許されたことです。
しかし、すべてが益になるわけではありません。
私にはすべてのことが許されています。
しかし、私はどんなことにも支配されはしません。

すべてのことは私には許されたことです。
人は神から「自由意志」を与えられている。
今の自分は、自分が今まで選択してきたことの結果。
物事に対してどう反応するかも、自分の選択次第。
どんな感情を表すかも、自分で選んでいる。
感情は、自分で制御不可能なものではない。
しかし、すべてが益になるわけではありません。
益をもたらすどころか害となる選択もある。
自分で選べないものもある。
国籍・性別・両親。
人は誰しも、程度の差はあれ、選べなかった環境の犠牲者である。
しかし、人は皆「神の作品」である!
存在そのものに価値がある。
たとえ自分が無価値に思えるとしても・・・

ペテロ第二2:19
人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。

過去に対する怒りや恨みを抱えている限り、過去の奴隷である!
しかし、私はどんなことにも支配されはしません。
パウロのように、自分が過去の奴隷となることを断固拒否すべき!
心に深い傷を負っている人ほど、自己中心に陥りやすい。
しかし、唯一、わたしたちが奴隷となることが益となる選択がある。
ペテロ第一2:16
あなたがたは自由人として行動しなさい。
その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。


サウル王の聖化

ひさびさに、地元の教会の聖書研究祈祷会に行ってきました。
(普段は水曜の夜に開かれているのですが、今週はたまたま木曜に振り替えになってたもので・・・)
読んだ箇所はサムエル記第一10・11章。
イスラエルの初代王としてサウルが任命され、アンモン人を撃破するという場面です。
サウルといえば、竪琴を弾くダビデに槍を投げつけ、執拗に追い回すほどの激しい嫉妬と殺意を示した「聖霊を取り去られた」後のイメージが強いのですが、サムエルによって油そそがれた当時のサウルは、とても謙遜で控えめな青年でした。
サウルに聖霊が下ると、「神はサウルの心を変えて新しくされた」(10:9)とあります。

ちなみに・・・
新世界訳だと、「神は彼の心を別の[心]に変えはじめられた」となっています。意味不明ですよねぇ。


聖化され、王としてふさわしく生まれ変わったサウルはイスラエルの軍勢を率いて、ヤベシュ・ギレアデに侵攻してきたアンモン人を撃破します。
新世界訳では読み取れなかった箇所、とても新鮮でした。